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野外彫刻展の歴史(大学美術教育学会)

野外彫刻展の歴史 -全国傾向と富山県の場合-
The History of the Open-Air Sculpture Exhibition
-in case of Japan and Toyama Prefecture-
高岡第一高等学校 松尾 豊



I.野外彫刻展の全国的概説

 日本彫刻史上、彫刻の野外展(屋外展示)として現在確認できる最古の記録は、1931(昭和6)年のものであろう。第5回朝倉塾彫塑展覧会で東京府美術館屋庭の28点の陳列であった。図録口上に朝倉文夫は「どうも大きな彫塑の場合は屋外が最もいいやうに思はれる。それは又人々の眼に触れる機会を多くつくることであり、やがて彫塑芸術が社会に理解される第一歩になるものである。」と、彫塑芸術の社会的認知を第一義にあげている。以下、記録に残る野外(屋外)彫刻展の歴史と傾向を辿ってみる。

1.1950年代(昭和25~34年)

 50年代はその数が少ない。50年11月、東京井の頭自然文化園での林間彫刻展が、戦後最初の野外展である。51年春からは、野外創作彫刻展が日比谷公園で開催。白色セメントの普及と人心の回復が主因であった。地方都市でも高岡博「モニューマン展」、行動美術野外彫刻展(京都円山公園)が51年に、52年には彫刻いけばな野外展(京都国立博物館)、54年は富山博野外彫塑展が企画。又、後半57年の神奈川県立近代美術館での集団58野外彫刻展も、野外展史上特筆に値する。

2.1960年代(昭和35~44年)

 60年早々に集団60野外彫刻展が企画。土方定一構想を基に、61年の第1回宇部市野外彫刻展へと発展する。宇部市の公害追放や緑化運動と連動し、63年の第1回全国彫刻コンクール応募展、65年第1回現代日本彫刻展へと変遷する。彫刻のある街づくりの先導を示した点、68年神戸市須磨離宮公園第1回現代彫刻展と隔年化され「ミュージアムシティ神戸」の基本構想に示唆を与えた点、90年代の現代でも現代彫刻家の登龍門となっている点等が特色であろう。

3.1970年代(昭和45~54年)

 60年代後半からのテーマ化(風・光・緑と彫刻、素材と彫刻、都市空間と彫刻等)での模索の中、72年晴海日本建築センターでの第1回建築とともにある彫刻展の開催で、彫刻と建築の共存の本格的論議が特筆される。73年おおいた野外彫刻展(別府市)、76年第1回大垣市野外彫刻展、同年市民と大通公園を結ぶ野外彫刻展(横浜市)、77年第1回丸亀野外彫刻展等が開催。地方都市での分散化が、70年代の特徴的傾向である。

4.1980年代(昭和55~64・平成元年)

 80年代は野外展の数が飛躍的に増加し、地方都市での分散的拡大の点、ヘンリー・ムア大賞展やロダン大賞展など壮大な自然環境をもつ私設野外美術館での国際的展覧会が活況を呈した点も特徴である。更に、89年の横浜彫刻展や足立区野外彫刻展(公募時89年)のように、公募当初より、街角等の設置野外環境を選定し、場に調和する作品の受賞設置や市民参加のテーマ決定がみられる野外彫刻展の登場は80年代後半の大きな特徴である。

5.1990年代(平成2年以降)

 90年代前半の野外展は、90年甲府まちなかの彫刻展、同年五木の子守唄彫刻展、91年加茂山彫刻展にみられるように「村おこし」型野外展が続発しながらも、80年代後半からの横浜・足立型の野外展が今後の目指す方向となろう。又、87年の丹沢野外彫刻展や90年小田原城野外彫刻展のように、県と開催自治体共催でトリエンナーレ型の神奈川方式が、その壮大で実験的企画により注目され、90年代のもう一つの特徴になろう。

II.富山県内の野外彫刻展の歴史へつづく



I.野外彫刻展の全国的概説
II.富山県内の野外彫刻展の歴史
III.富山県内の野外展の傾向と到達点

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