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「高岡市パブリックアートまちづくり市民会議」とアートマネジメントの可能性

「高岡パブリックアートまちづくり市民会議」とアートマネジメントの可能性
高岡第一高等学校 松尾 豊


I:目的
 2001(平成13)年10月に発足した「高岡市パブリックアートまちづくり市民会議」(以下「市民 会議」に省略)は、「高岡市パブリックア一トまちづくり懇和会」(以下「懇和会」)の『パブリックアートたかおか構想』による提言を受けて成立し た。しかしながら、その当初から様々な問題点も内包していた。「彫刻のある街づくり」事業が、流行のように全国の自治体に急増した80年代後半以降、アートによる街づくりも市民参加が叫ばれて久しい。行政と作家と一般市民が対等な関係で街づくりに参加できるシステム作りは当然の方向 であるが、各々の立場の理解とパブリックアートそのものに精通するコーディネーターのような存在が必須になってきている。

 本発表は、高岡市の歴史や現状を背景に、懇話会」と「市民会議」の発足から、設置作品第1号 〈伝えの扉〉のオープニング迄の期間における問題点と課題、及びアートマネジメントの可能性を探ることを目的とする。

Ⅱ:背景
1.高岡市と高岡銅器

  高岡市は、2002年8月現在、人口172,294人の富山県第二の都市である。県内では、戦後急成長をしたアルミ産業と全国の90%以上のシェアを 誇ると言われる銅器産業が、長期不況の現在でも富山県経済の一部と県民の生活を支えている。
高岡の歴史は、393年前の慶長16(1609)年に加賀藩二代目藩主前田利長が入城した時から始まるといわれる。その折に、我国鋳物発祥地とされる河内丹南鋳物の流れを汲む7人の鋳物師を招き、現在の金屋町に鋳物工場を開設したことが、高岡銅器の起こりとされている。高岡銅器は、以来脈々とその技術を受け継ぎ、1880(明治13)年には、日本最古の人物野外銅像〈日本武尊像〉を金沢兼六園に残し、分業体制も確立し、1975年には「伝統的工芸産業の振興に関する法律」で国の伝統的工芸品の指定を受け現代に至っている。

2.彫刻設置事業の変遷

 高岡では、市や市民が自覚的に街づくりを考えて彫刻設置に取り組んだ企画が、私の知る範囲では「市民会議」成立前まで5回判明している。
① 古城公園「芸術の森」作品群
 高岡市制90周年事業として、1978(昭和53) 年から81年まで、19点のブロンズ像が、古城公園内に「芸術の森」推進事業として設置された。審議機関を芸術の森推進委員会にし、公園緑地課を主管部局に完成した。日展系作家作品が大多数で、そのほとんどが高岡市内での鋳造である。
② 「彫刻のある街づくり」事業の作品群
 高岡市制100周年記念事業として、1981(昭和56)年から89年まで15点が、歩行者動線上の街角や路傍、公園や広場、公共施設前庭などに「彫刻のある街づくり」事業として設置された。彫刻 のある街づくり推進委員会なる公的審議機関による作家選考、企画調整室企画課の主管、公園緑地化の管理で完成した。民間の寄贈品2点以外は、 オーダーメイドの仙台方式である。
③ 末広町商店街の小品群
 1983(昭和58)年から、高岡駅前通り商店街の約300m両側に、末広町商店街振興組合により、4点のブロンズ小作品が設置された。商店街の活 性化と銅器の街・高岡の宣伝を目的に、環境整備委員会の作品選定、振興組合の管理事業であった。
④ 仲よし橋の子供作品
  高岡市ない免の仲よし橋(通学橋)欄干に、1984(昭和59)年3月、川原小学校6年生のスケッチ塑像作品が、ブロンズ化され4点設置になった。教育機関と地域の心が結びついた例である。
⑤ 御旅屋通「メルヘン広場」の作品群
  大和デパートの右側空間をメルヘン広場とし、 1994年に童話を題材にした作品を4点設置した。高岡市都市再開発課の主管であった。

3.「懇話会」と「市民会議」の動機と経過

『生き生き市民都市高岡』構想策定を受け、「ものづくりのまちとしての技術力・デザインカを活かしたパブリックアートの導入により(中略)都景観の形成を図るとともに、併せて本市の地場産業の振興に資することを目的」に13人の委員で「懇和会」が発足した。その提言集『パブリックアート高岡構想』を発展させ、高岡市長の要請で 「市民参加と協働」を基本理念に「市民会議」が成立した。「市民会議」は、53人の委員により、 2001年10月発足したが、20人の指名者と33人の 「公募者」で結成されたことになっている。

Ⅲ:「市民会議」成立とその後の問題点
1.行政側(主管都市計画課〕の問題点

①「市民会議」委員の指名者の偏りと「依頼者」 (指名者でも公募者でもない人〕の存在、②小出しにする態度(予算や見通しや交渉の方法等に対する姿勢)、③「市民会議」に委ねきらないで、模様眺めや委員を一本釣りにする一姿勢
2.作家側の問題点
①〈伝えの扉〉共同制作者の三者間の認識的相違、②「メッセージ銘版」制作での市民参加とワークショップの矮小化の問題、③提出文章(「市民会議」という公的な場へ提出した討議資料)の回収問題に見る民主主義への意識
3.「市民会議」側の問題点
①『パブリックアートたかおか構想』策定委員の見識問題(呼称登場の矮小化、定義の不明確さ、 地域文化創造の理念的欠落)、②一般委員のパブリ ックアートそのものへの興味や認識の不足(市内の作品の所在さえあまり知らない委員の存在)、③民主主義意識の低調さ(一般市民の意見を吸い上 げようとしないぱかりか、全体会提出の委員案が討議されないことがあった)、④全体会と部会及び連絡調整会の権限や運営上の問題(会議数の多さの割には、何も決定せず結局達絡調整部会の一部の委員で決める傾向)、⑤広報の不足(広報手段の少なさ、タイミング、広報者の忙しさ等により、 一般市民に伝わりにくい)、⑥限定的「市民参加と協働」意識(ワークショップや学習会への委員と一般市民の参加者の少なさ)、⑦特出した一部の部会の誤った認識の問題(作家選考過程迄の不透明 さやTシャツ販売の問題)

Ⅳ:アートマネジメントの可能性
 現在「市民会議」と一般市民と行政と指名作家側を対等に結ぶコーディネーター又は、アートマネージャーはいない。「市民会議」に純粋に公募参加した委員の一人として、これまでの活動を振り返り、アートマネジメントの可能性を探りたい。
1.行政側へのマネジメントの可能性
 「懇和会」と「市民会議」の指名委員は、市外の人も含め、何よりもパブリックアートに対する見識の高い人を複数人入れるべきである。一方で、依頼された委員は、猛省すべきである。見識を第一に人選上のバランスをコーディネートできる人を確保すべきであろう。
2.作家側へのマネジメントの可能性
 物創りの心を理解し、指名作家には最大限の配慮が必要である。一方で行政と「市民会議」の主旨も理解してもらい、作家が公言したことは守らせるべくコーディネートできる人が必要である。
3.「市民会議」側へのマネジメントの可能性
  何よりもパブリックアートヘの認識と民主的議会運営の方法を学ぶべきである。その具体的方向性を示し、行政側と「市民会議」側とを対等に調整できる存在が必要となる。
4.[民営化」とマネジメントの可能性
 高岡市の現在の主管部局は、都市計画課であるが、パブリックアートの性格や地域文化の創造等を加味すると教育委員会が良いと考える。但し、関係部局が横断的に討議できるシステム作りと 「市民会議」(含一般市民)と行政の協働活動が可能なら、非営利組織で市民セクターとしてのNPO活動に委ねるのも一方法と思える。
5.「都市と芸術」 へのマネジメントの可能性
 景観論的都市創りよりも、機能する都市再生のためのアートシーンの創造や地域文化の創造事業を企画できるプランナー、更にはエデュケイターのような存在が求められる。
6.「創客」へのマネジメントの可能性
  芸術を享受する高岡市民と芸術的都市再生による誘客志向の「創客」へのマネジメントが必要である。既存のアート作品の再評価や地域(都市) の再発見及ぴ継続的にアート作品・行為を全国的に発信できる学芸員のような人が求められる。
7.パブリックアートとマネジメントの可能性
 公共芸術と公衆(一般市民)と行政の立場の理解は当然だが、何よりもパブリックアートと民主主義への深い認識が必要である。又、新しいアートや地域(都市)の方向性を具体的に提案できる学芸員・社会教育主事・美術教育者・企画立案者 のようなアートマネージャーが求められている。 そのためにも「市民参加と協働」の理念をPPPの精神として実践的努力を継続すべきと思う。

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