Top >  08.学会発表 >  彫刻シンポジウムの歴史と到達点(日本)(大学美術教育学会)

彫刻シンポジウムの歴史と到達点(日本)(大学美術教育学会)

彫刻シンポジウムの歴史と到達点(日本)
高岡第一高等学校 松尾 豊
富山大学 後藤 敏伸



I.彫刻シンポジウム概説

 シンポジウムの語源は、ギリシア語の「シュンポシア」「シュンポシオン」(「一緒に酒を飲む」「饗宴」を意味する)に由来する。それが、ラテン語では「SYNPOSIA」(「饗宴」)となった。現在、一般的に使用されている「シンポジウム」は、一つの問題を共通の場で論じあうことを意味し、プラトンの『饗宴』から使用されるようになった。ただ、彫刻シンポジウムの場合は、一定の場所と期間、共同制作をし、彫刻について論じ、酒宴を供にするという意味合いが強くでている感がある。

 世界最初の彫刻シンポジウムは、1959年オーストリアの彫刻家カール・ブラントルの呼び掛けによりブランゲンランド州の採石場で開催された。世界7カ国11名の参加であった。この第1回の国際彫刻シンポジウムの参加作家達が母国へ帰り、1960年にはドイツで、1961年にはユーゴスラビア、イスラエル等で開催されることとなった。一般的にアトリエに籠りがちな彫刻家達を野外に連れ出し、彼等の特権意識や、個人主義を問い直す結果となった。日本の彫刻家も1961年のフォルマ・ヴィヴァに3名参加しその結果は、日本の彫刻シンポジウムの機運を盛り上げることとなった。以下、日本の彫刻シンポジウムの記録を追ってみたい。

II.彫刻シンポジウムの歴史へつづく



I.彫刻シンポジウム概説
II.彫刻シンポジウムの歴史
III.彫刻シンポジウムの到達点

 <  前の記事 野外彫刻展の歴史(大学美術教育学会)  |  トップページ  |  次の記事 「彫刻のある街づくり」にみる現状と諸問題(96)(大学美術教育学会)  >