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学術機関の公共性――東京教育大学から筑波大学へ

2008-10-11 15-39-01_0013.JPG3月  24・25日とつくば学園都市に行ってきた。娘の学位授与式のためである。

私が大学4年の秋、「東京教育大学を発展的に解消した」とされる「新構想大学」の筑波大学の学園祭を覗きに行ったことが1回あった。教官は、教育大の学生を放り出し「筑波へ行ってくる」等言って何ら面倒を見てくれないと思っていた。一方で、「松尾君筑波の大学院へ来ないか」と言う日展出品の恩師や、「モデルでもいいから筑波に来ないか」等言ってくれた自由美術協会の恩師が、石膏取もしないのに単位を認定したり、矛盾を感じながらも1度覗きに行ったのが創立間もない頃の学園祭だった。そのときは山里近い藪の中にコンクリートを建てただけの寂しい大学と思えた。

 

あれから32年余り、立派な建物が研究者で満ち溢れ、外国人が代表して修了証を授与されたり、「答辞」の類を読み上げる光景を目にした。予想とはまったく違った学際性とリベラルな学風が形成されていたことに驚いたリベラルこそが学術機関の公共性を保障する最善の方向と思った。(大学時代は、「俺達(東京教育大学の学生)を犠牲にして、学生の自治権を奪い取り、政治的な右傾化を学術機関にまで押し付けようとしている」などと思っていた)

 

その上、何よりも感慨深かったのは、30数年前、藪の中だった大学に自分の娘が望んで入学し、リベラルな研究都市に変容した学舎で、今修了式を迎えようとしている何ともいえない目の前の現実であった。娘の存在と大学の変容、そして1人娘が自分の母校になるはずの大学院の修了が想像だにできなかった感慨である。

 

(上の写真は、茨城県桜川市で開催の「雨引きの里と彫刻2008」出品の岡本敦生の石彫作品)

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