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1人娘の公共性――新たな出発

     雨引きの里7.JPG                                                                                                   一人娘のYが、3月25日午後に修了式を迎える。 1歳過ぎて、やっとやっと歩き出したか出さないかの頃、日本でも独特の風習が残る高岡に3人で来て、ただただ必死で生きてきたと思えたつい数年前・・・・・・・いつの間にか、自分の納得で「心理学を勉強したい」と大学進学を決意した。入学後の3年生のころには、「臨床心理士になる」と言って大学院に進学した。(私の父が、東京教育大学卒業式の3月初旬、雪の中の新潟からたった1回だけ上京したのを思い出し...私は、父親のけじめとして)「学部の卒業式には出ないから、その代わりに必ず修了式には顔を出す」と言ってから、約3年が過ぎようとしている。この25日がいよいよその約束を果たす日。

 

それにしても、親馬鹿を言わせてもらえば、よくできた娘だと感心している。就職もキャリア試験を通過したにもかかわらず、心理学の成果を活かす仕事として「家裁の調査官」を選んだらしい。この職種も、国家公務員というが、高校時代のクラス写真の風貌からしても「最近、顔が俺に似てきたな」と思っていた。大違いのところは、受験する試験全てに合格していることに加え、親に経済的な負担をかけず、むしろ幼少時からの貯金を溜め込み(その金で高岡・筑波と7年間一緒にすごした友達と)外国へ修了旅行するような計画性と経済的な効率性かも。全く羨ましい限りだと思うが、その辺が、娘に肖りたいと思う、私の考えるお前の優れた点だ。

Yちゃん!大学院修了、そして就職おめでとう!!!

 

日本の現代社会は、組織を維持してきたトップの有様と同様に経済も政治もかなり歪んでしまい、「心の問題」では片付けられないほど複雑になった。しかし、お前の24年間で育んだ優しさと感受性の強さは、私が保証する。又、大学時代に学んだ知識と人を見る眼差しの方向性は、必ずや誰にも負けない調査官になれると確信している。今後は、「もっと自由に自分を磨き、必要とする人々のためになる存在になれ。そして、どんな困難があっても、俺が命ある限り、否死んでもお前を見守っているから、安心して建設的に生きろ。」

(上の写真は、国民文化祭のため文化庁が共催した茨城県桜川市での「雨引きの里と彫刻 2008」に出品の筑波大学中村義孝教授の鋳物による金属作品)

(不甲斐無くも、まだまだ自分の可能性を信じ続けている父からの、滅多に送らないエールだよ!!)

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