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ARTの公共性――成し遂げたい私の2つの天命

パブリックアート市民会議1.jpg最近「ARTの公共性」や「ARTの力」を現代社会に提示しうる件で、私の天命として、2点ほどどうしても成し遂げたいことがある。

不肖な私がこの領域では、他者に先駆けた文献発表やその方向性の提示をしてきたとの自負があるからこそ、傲慢に思われても、自分の天命として成し遂げたいことである

 

その1つは、「明治以降の全国にある野外彫刻の出版物による可視化」である。この件は、1995年10月の段階で毎日新聞社東京本社の編集局学芸部に「『20世紀の野外彫刻』(仮題)出版趣意書」と「出版計画メモ(松尾私案)」の2つの申し入れをしていた事案である。窓口は現在「美術ジャーナリスト」の三田晴夫さんだったが、企画自体を気に入り「監修を中原佑介さんと酒井忠康さんにお願いして、じわじわ突付きながらやってみましょう」というものだった。実際に、有名美術評論家の中原さんと酒井さんにもお会いして、その場で私の文献や出版趣意書を提示しながら、私自身からもお願いを申し上げた経緯がある幻の企画だった。中原さんには、2度目にお会いした2000年の第1回「大地の芸術祭」会場の十日町市内で「売れそうに無い」「ペイできないから不可能になった」旨を聞かされた。

 

当時は「20世紀の文化遺産として、21世紀に引き継ぐべき野外彫刻」関連の出版物を、(日本におけるこの領域の先導役をした宇部市の野外彫刻展の主催や出版文化に対する新聞社の姿勢を理由に)毎日新聞社から刊行したいとの趣旨だった。最近は、私を評価してくれる研究者の教示もあり、その狙いをより壮大・学術的にし、人物銅像としては最古の明治13年設置の金沢兼六園内の<日本武尊像>あたりから文化資源学的切り口での出版を考えている。

 

その2つ目の件は、私が、野外彫刻研究の必然として到達した、野外彫刻と空間の分類、野外彫刻展の歴史、日本野外彫刻史、彫刻シンポジウムの歴史、彫刻のある街づくりの問題点と課題やパブリックアート、アートマネジメント及びその美術教育上の必然的関連性の研究(生涯美術論)に先駆的に貢献したという自負に基づく事案である。

 

その研究の流れの延長上に、共通のキーワードとして「アートの力」や「アートの公共性」が登場するわけだが、自称「生涯美術論」「芸術支援学」構築の背景と同時進行的に、世界的潮流としての「アートプロジェクト」が全国至る所で立ち上がっている。その隆盛と広がりにより、誰かが学問的にも纏めるべき調査・研究の時期に到達している現状がある。 従ってこの領域の研究出発とその方向性提示の速さを示して来たとの自負等により、「天命のような使命」を感じている事案が、他ならぬ「アートプロジェクト」研究である。

 

「アートプロジェクト」は、今現在でも定義さへ曖昧なままで、その歴史や最初の企画も特定できないだけでなく、まるで「雨後の筍」が日本のあちこちに芽を出すかのように全国至る所で展開されている。自治体型・国家型・NPO型などの主催形態の分類も可能だが、支援額・その支援機関・プロジェクトの期間・表現空間(例えば、その場の特性に応じ、過疎対策型・文化都市創成型・福祉医療型・教育学習型等)様々である。人と場(地域)や物(情報)との関係性の中で成立する「アートプロジェクト」は、人間の生き方及び地域や場の価値の(再)認識を、アートやアーティストの介在で問い直しを迫り、住民やその場に関る人との協働・参加による関係性(再) 構築のためのコミニュケーションツール、或いはコミニュケーション装置とでも言ったほうがよい件かもしれない。

 

最近では、この領域に興味を持ち、若年でキャパシティの多さや頭の回転の早い人達の存在は確認済みだが、あえて承知の上で、それを松尾豊の天命として調査研究を重ね、学術的文献として整理することで「アートの公共性」及び「アートの力」を提案したいのである。

 

今私の一番の楽しみは、上記2件を研究できる立場に置かれ、誰の邪魔もなく、この領域の関係者と仲良くも楽しく、それぞれの知識や知恵やノウハウを出し合って完結して行くことである。(次の「ARTの公共性ーー2つの天命と2人の偉人」もご参照ください)  

 (上の写真は「高岡市パブリックアートまちづくり市民会議」の取り組みで設置になった第1作目<伝えの扉>である。)

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