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パブリックアート研究・美術教育、そして芸術支援活動(光村図書)

パブリックアート研究・美術教育そして芸術支援活動

高岡第一高等学校
松尾 豊


『美術2 教授資料』P124~127=教科書指導書:光村図書出版社、2008年

 

パブリックアート研究の帰結が、「生涯美術論」を生んだ。
その具体論が、鑑賞への傾斜や地域連携活動となって現れた。
しかし、その意味するところは、「アートの力」や美術の教科性の強化への
認識を深めるところにあった。つまり、アートの公共性の研究が、
アートライティングや芸術支援活動を有効にした。

 


パブリックアート研究と授業還元
最近でこそパブリックアートと言われることが多くなった公共空間の造形物は、一昔前までは、野外彫刻・屋外彫刻・公共彫刻・環境造形などと呼ばれることが多かった。
わたしが新潟県内の野外彫刻の調査研究を出発点に、この領域を追いかけ続けて2007年12月には丸21年になる。その間、土日祭日の富山県内はもちろんのこと、夏休みなどの長期休暇期間には、北は北海道旭川市から南は九州鹿児島市まで、カメラ片手に全国を駆け巡ってきた。旧盆や正月の帰省時には、富山県高岡市から新潟県下越地方までの細長い郷土を北上し、その途中彫刻を見つけると、一人娘と妻をポンコツ車内に残したままシャッターを押し続けていた自分を今でも思い出すことがある。現任校の赴任時には、ヨチヨチ歩きだった一人娘が今では大学四年生である。時の流れは速く、積み重ねてきた調査研究も多様な方向を示すようになった。
北陸地方の一私立高校に職を得て、美術の授業、美術部の指導、クラス担任、その他にいくつかの校務分掌を経験しながらも、このパブリックアート研究を止めようと思ったことは一度もない。自分のライフワークの一つと思う以上に、拙稿や拙著の発行に恵まれたことが第一の理由かもしれない。否、それ以上にパブリックアートと美術教育の接点を掘り下げる授業還元の有効性が、研究開始当初から個人的興味を超えると、わたしは確信を持っていたからである。このパブリックアート研究とその成果の授業還元作業は、当然のことであるにもかかわらず、在職経験を持つ新潟・富山の両県では、ほとんど実践されなかった方向と思っている。多様な研究方向を持てたがゆえに、これまで無視あるいは軽視されてきた鑑賞比重増強へのシフトや地域文化研究を含む地域連携の方向性を提示できたと思えるのが正直な感想である。

 

アートの公共性と「生涯美術論」構想
パブリックアートのパブリックには、「万人が共有する」などの意味がある。パブリックアートとなると、「公共空間・公金(税金)・公衆(一般大衆)の三つの公から制約を受けるアート」と言わざるを得ない現状がある。そうであるがゆえに、理想を捨ててはならない教育機関の教師は、未来の主権者である児童・生徒には真のパブリックアート足らしめるための啓蒙・普及活動を切望するわけである。ここに学校教育機関や生涯学習機関による伝承・継承活動でこそ市民の心に依拠して成立するはずの(万人が共有すべき)、パブリックアートと美術教育の接点があるような気がする。
したがって、日本全国で今一種の「流行」の感さえ呈する最近の美術教育の鑑賞への傾斜や美術館や作家工房への探訪を含む地域連携活動は、地域文化も視野に入れたパブリックアート研究、あるいはアートの公共性の研究の必然的帰結と思えてならない。それは、全ての人間活動を一生涯の長さで見据えたときのアートへの向き合い方の方法論も含んだ方向性からの帰結である。その延長線上に、自称「生涯美術論」構想と鑑賞比重増強の関係性を示す実践的試行があった。つまり、生涯美術論とは、現任校の授業実践としては、高校生が、授業を離れてからこそ、一生涯に渡りアートと主体的に向き合い続けられることを目的に、それを具現化するための方向性と方法論の提案、あるいは実践的模索の試みであった。

 

時代背景と「生涯美術論」実践
「パブリックアート」と言う用語の日本への移入は、1980年代の後半と言われている。80年代の初めから90年代にかけては、「地方の時代」「文化の時代」が叫ばれる一方、バブル経済の流れの中で野外彫刻展や彫刻シンポジウムに見られる「彫刻のある街づくり」事業が隆盛を極める。幾分並行しながらも「生涯学習社会」や「パブリックアート」用語が登場する。加えて、地方での美術館や文化ホールなどの箱物施設の林立や生涯学習機関としてのソフト面の充実が叫ばれる。しかし、90年代から21世紀の現在にかけては、一般市民にとっても日常生活の中でアートと向き合える条件が整備されてきたのも確かな現実だったと思える。
そういう時代背景とわたしのパブリックアート研究の進展が、地域連携や地域文化研究も必然化させ、「生涯美術論」構想による高校美術の再構築を志向させた。高等学校美術教育の目的が一握りの作家養成ではなく、より多くの生涯美術ファンの育成にあるとの結論に達したのは1994年のことである。
そのための表現面からの実践例としては、赴任時から継続している「野外彫刻と抽象彫刻」や、95年開始の「フレンドパークのモニュメント」(写真①)などがある。両者とも作品制作の他、導入時や制作後のまとめの段階では、スライドやパソコン映像を作品のフォルムや景観との調和という視点で鑑賞し、「アートによる街づくり」への言及も加え、アンケートへの回答を求め終了してきた。

(写真①:「フレンドパークのモニュメント」制作風景)
鑑賞面からの実践例は充実していたとの自負がある。94年開始の「地域文化と生涯美術」では、その初期のころから、VTR『日本の巨匠』の鑑賞後、近頃よく耳にする「アートライティング」を課していた。近年では、高岡銅器や井波彫刻などの地域文化を支えた人達との関連性に着目し、その領域で自己実現した巨匠達のVTRを鑑賞させた後に批評的ライティングを試みている。加えて、2001年2月からは、校外学習(写真②)に踏み出し、地場産業センターや高岡銅器団地内の老子製作所などで参加体験的な鑑賞学習に挑戦してきた。

(写真②:校外学習=老子製作所で鋳造した日本一巨大な大仏の手の部分の見学風景)
また、96年開始の「高岡現代彫刻オリエンテーリング」(写真③)は、当初、富山大学長谷川研究室に誘われてのもので、夏休みの宿題として出発した。現在は、4~5月の連休中を中心に高岡の再確認も含め、現場鑑賞でしか味わえない臨場感を体感してもらっている。

(写真③:「高岡現代彫刻オリエンテーリング」風景)

 

「アートの力」への確信と地域連携・鑑賞学習の意味及びアートライティングの可能性
最近、作家工房や美術館などとの連携を含む鑑賞学習の理由を良く考える。美術教育関係者からも個々の具体的実践例を見聞してきたが、美術教育の持つ鑑賞の絶対的意味をあまり耳にはしてこなかった。鑑賞学習の絶対的意味への私なりの結論は、「アートの力」を確信することと美術なる科目の教科性の強化への認識を深化させることの2点に尽きる。しばしば中学校・高等学校などでの授業時数削減の対象として音楽・美術を含む芸術系科目が候補になってきた理由は、それだけ全国の保護者、社会の支配層、そして他教科の教師からも現代社会では不必要と思われ、その弱点の克服が疎かにされていたからである。
逆を言えば、美術教師が、社会と関わることを避けて、むしろ社会に切り込むことでしかその必要性を理解されない教科の性格を忘れていたからだ。それに対して、わたしのパブリックアート研究や鑑賞比重の増強や地域連携は、決して社会と迎合するものではなく、むしろその必要性を自らの使命として抱えていたことを認識していた行為である。それは、「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ」(写真④)などで証明済みと考える。小・中・高の児童・生徒はもちろん、地元住民や作家が協働しての作品の創造や鑑賞参加行為は、コミュニケーションによる人間性の回復や現代社会における地域の魅力への再認識を迫り「アートの力」の存在を確信させたからである。21世紀こそが文化をキーワードにした「芸術の時代」と言えるゆえんである。つまり、一見流行のように見えるこの鑑賞学習隆盛の機運は、決して流行ではなくもはや運動ととらえるべき絶対的な営みと私は考える。

(写真④:第2回「大地の芸術祭」の鑑賞風景)
要するに、それほど鑑賞行為の継続は、高校生にとっては、「アートの力」と芸術文化への認識を深め、自己実現のための社会回帰を必然化させ、現代社会をより創造的に生き抜く必須アイテムになると言わざるを得ない。また、鑑賞とそのアートライティングの方法論は分析と数値化が可能であるがゆえに、その継続こそが、一層美術の社会的認知度を高め教科性の強化を獲得すると考える。
それにしても面白いことは、「アートライティング」なる言葉を目にした最初が、「第1回高校生アートライター大賞」の公募を見聞した2005年であることだ。高岡第一高校では、それ以前の94年の授業から作品の内容・技法・作家の姿勢などを文章化させていたが、その当初は評価を最大の理由とする「批評を書く」程度の課題でしかなかった。13年程の実践を通じて、今思い当るアートライティングの可能性は、前記「アートの力」への確信と教科性の強化以外に、以下の8点ほどが挙げられる。①国語の表現力の向上、②芸術学系への進学に有利、③自己の制作への内省的効果、④作家との気持ちの共有、⑤身近なアート空間への積極的関与、⑥コンセプトの重要な現代アートへの高い有効性、⑦表現のみに偏らないバランスある授業実践、⑧芸術支援学構築への寄与などである。

 

美術教育と芸術支援活動
パブリックアート及びその公共性の研究と美術教育の実践的模索の最中、高岡市でも2001年10月に「高岡市パブリックアートまちづくり市民会議」(略称「市民会議」)を発足させた。当然私も、自分の研究成果を社会で実践できると考え、喜び勇んで参加した。その後、日本アートマネジメント学会に入会し、学習の成果も提案した。
この「市民会議」の活動(写真⑤)を通じ、わたしは学校教育機関での美術教育も美術系総合学習の取り組みも立派なアートマネジメントと考えるようになった。その活動が、経済的に支援する企業や文化機関の有無に関わらず、作品や作家やその活動と社会とを繋ぐ優れた芸術支援行為と思えたからだ。そう考えると、美術教育や美術館活動やアートマネジメントや芸術学の成果の普及も、生涯に渡る自己実現を支援する芸術支援活動と言える。ここに芸術支援学を可能にする方向性や方法論も見える。つまり、学問的に芸術支援学を可能にしたという意味でも、美術教育上の地域連携や鑑賞行為は、表現活動に劣らず、充分に創造的行為と言えるはずである。

(写真⑤:「市民会議」の活動の一場面=第2作目の作品設置のためのワークショップ風景)

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