新潟から失意のまま(現代社会の悲しさと力のあるものへの不信感を引きずって)来高して、早23年目である。生まれて1歳になったばかりの1人娘と妻と3人で、誰一人身寄りのない街である高岡に来た。 確かに生活はそれなりに安定し、彫刻もでき、期待はしていなかった(新潟時代に開始した)野外彫刻やパブリックアートに関する調査研究も深まり「アートの公共性」をテーマに さらに新しい目標もできた。しかし、自分の中では、余りに納得できない点も多すぎるため迷う事が多かったのも事実だ。
学校(職場)や地域などでも余りに「不当」とさえ思える信じがたい現実にぶつかり、実際は生かされてきたのか殺されてきたのか判別できず、結果次第でどうにでも判断され得る訳のわからない現状があったからだ。私にしてみれば、不当なことを払い除けながらもかなり傷ついて到達した、充分に頑張った(地域や職場にも充分過ぎる程尽くした)約23年間と考えている。今後の自分の可能性を信じ、全国的に誇れる部分を活かし、楽しみながら生きて行きたいと思う今日この頃だ。 (写真上の2点=高岡大仏と古城公園、左下=<9歳の陽ちゃん>、右下=<人体のフォルム99-2>)